2017年10月04日

創業330年を振り返る(屋号)

三保原屋 屋号

以前ツイッターでも話題になった屋号の話です。
写真左は、過去の屋号で、
写真右は、現在の屋号(ロゴマーク)です。


三保原屋には過去に何個か屋号があったようです。
一番古いと思われる屋号は、
^の下に小と書いて、「ヤマコ」と呼んでいたそうです。

その次は、写真の左側にある屋号
三重丸のしたに、保と書いていました。
(三保の三を三重丸に見立てたと思われます。)

そして現在は、Mのマークです。


「ヤマコ」と呼ばれている屋号ですが、
三保原屋徳兵衛という名前を襲名していた当社で
「小」を屋号に入れた経緯がはっきりとしません。

こちらの理由も、
いつか分かったらいいなと思っています。

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2017年10月03日

創業330年を振り返る(静岡ホームチェーン)

三保原屋 静岡ホームチェーン

昔、呉服町商店街には、
「陶器屋」「金物屋」「荒物屋」「小間物屋」などが存在した
という話を聞いたことがあります。
専門店が立ち並ぶ商店街は非常に賑わいがあったようです。

三保原屋は昭和から家庭用品店となりましたが、
三保原屋を含めた「金魚屋陶苑(陶器屋)」「くろがねや(金物屋)」の3社で、
「静岡ホーム・チェーン」という協力関係を築いて
商売をしていたことがあるようです。

今回の写真は
「静岡ホーム・チェーン」のハンコです。

「金魚屋陶苑」「くろがねや」と三保原屋は、
3社合同で旅行に行くなど、
交流も盛んだったようです。

いまだに社内には、
3社合同旅行のアルバムが残っています。

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2017年10月02日

創業330年を振り返る(現在の三保原屋の買い物袋)

三保原屋 買い物袋

現在の三保原屋の買い物袋のデザインですが、
よくよく見ると三保原屋のフロアーごとの
取り扱い商品がローマ字表記されています。

あくまで、この袋のデザインが出来た時の取り扱い商品なので、
現在は取り扱っていない商品がありますが、
kotatu futon
という表記もあります。
また、当時あった【ラブリーライフフロア】という表記もあります。


このデザインは、
三保原屋で約50年勤められた従業員の息子さんに
描いていただいたものです。

過去に、ショッキングピンクの袋を使っていたこともあると、
聞いたこともあります。

過去の色々なデザインを見ていると、
いつか復刻版の買い物袋や、包装紙をやってみたいなと思うことがあります。

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2017年09月29日

創業330年を振り返る(皆様のご協力で分かったこと)

先代社長の似顔絵

先日から古い写真や資料をブログ
およびツイッターで掲載し、
皆さまのご協力のもと、少しずつ分かり始めてきたことが出てきました。

おそらく先代の社長も、
古い資料にスポットライトがあたると喜んでいるだろうと思い、
今回のブログ写真は、先代社長の似顔絵を載せています。


少しずつ分かり始めてきたことを、何個かを記載させて頂くと、、

①当社の言い伝えで
「お品書きのようなもの」と言われていた資料が、
「当時の納品書兼請求書」のようなものだったこと
(詳細は9月20日ブログへ)

②解読できなかった資料が、
「町内会費を納めたときの資料」だったこと
→旧通貨制度の存在時期や、
間口で会費を徴収している実態が分かる資料だそうです。
(詳細は9月25日ブログへ)

③解読できなかった資料が、
町役人をしていた堀徳兵衛に宛てられた
「戸籍入替」だったこと
(9月26日ブログへ)


このような発見がありました。
ご協力頂きまして本当にありがとうございました。

生活に密着した家庭用品の販売をしているためか、
今回の資料の中から、商売だけではなく、
日常に関する資料が出てきたことを嬉しく思います。


私たちは両親がいて、その両親にも、それぞれ両親がいて、、
先祖を10代遡ると、1,024人のご先祖が関わっているそうです。

この地域で数百年前から人の生活に触れることができ、
この土地で人が働いていたことが、
今回の資料で分かると同時に、
三保原屋が、これからの未来に繋がるお店であって欲しいなと、
心から願いました。


ご協力頂きました皆様、本当にありがとうございました!

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2017年09月28日

創業330年を振り返る(静岡中心街史)

静岡中心街史

三保原屋の本社に、
「静岡中心街史」という本が保管されています。

こちらは昭和49年に発行されたものだそうです。
約500ページにわたる本で、
恥ずかしながらちゃんと読んだことはありません。
今回のブログは、その本からの一部抜粋です。

この本はタイトル通り、静岡の街中の歴史に関する記載が続きますが、
第8部に「江戸時代の駿府町人の生活」
という項目があります。
(非常に歴史的価値の高い記録は、
扇屋や伏見屋に残されているものが多いようです。)

当時駿府では町内会長を「町頭」(家康が自ら名付けたそうです)、
連合町内会長を「年行事」と呼んでいたそうです。
年行事の行いは、基金をつくり運用されていたようですが、
それでも経済的な負担は重く、
1827年には三保原屋徳兵衛も基金に2両貸し付けていたようです。


当時の自治における年行事の役割は大きかったのですが、
年行事が複数人により担当されていたこと、
担当が2ヵ月単位で変更されることがユニークです。

みんなが平等に地域自治に責任を持って関与する。
よく考えられた良い制度な気がします。
これからの地域社会も、
当時のように皆が関心を持って関われる場所であって欲しいと
思わせる内容が描かれていました。

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2017年09月26日

創業330年を振り返る(明治頃の資料)

三保原屋 明治頃の資料

今回も三保原屋に残る古い資料についいてです。
古い資料の発掘をしていましたが、
皆さまのおかげで色々なことが分かり始めてきました。
本当にありがとうございます。

紹介する資料に限りがあるため、
今回の紹介で、
一旦古い文章による資料の紹介が止まってしまうと思いますが、、
紹介をさせていただきます!


文章のお尻に明治の記載と、
札の辻・呉服町の記載があります。
この頃に、三保原屋が現在の七間町から呉服町に移転したといわれています。
現在の三保原屋の向かえ付近に一度移り、
その後、現在の位置に移転したものと言われています。

その当時は、
現在の呉服町2丁目が5丁目と呼ばれていたようです。

静岡大火と、静岡大空襲で、さまざまな資料が焼けてしまいました。
過去の記録が現在に評価されていることを考えると、
現在の一日一日が未来に繋がり、
未来から現在が評価されることになるんだなと
改めて考えさせられます。

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Posted by 三保原屋 本店 at 10:14Comments(0)三保原屋の歴史

2017年09月25日

創業330年を振り返る(古い資料)

三保原屋 過去の資料

先日ツイッターに、
三保原屋に保管されているものの、
解読ができない資料をアップしたところ、
多くの反響を頂きました。

「お品書きのようなもの」として聞いていた資料が、
実は「納品書兼領収書のようなもの」だということが分かりました。

助けていただいた皆様、
本当にありがとうございました。

続いて発見された資料を公開します。
今回は形式が似ていないのですが、、
こちらも現在のところ内容がさっぱり分かっていません。

三保原屋と全く関係の無いものであったら困るのですが、
思い切って公開をしてみようかと思います。
解読できる方、是非お知恵を貸してください。

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2017年09月24日

創業330年を振り返る(呉服町商店街の活気)

静岡まつり

昨日から第10回 静岡ラーメンフェスタが開催され、
青葉公園をはじめ、呉服町通りも非常に賑わいました。

私たちのように商店街で雑貨屋を営んでいる立場からすると、
呉服町通りが賑わうだけでも少し嬉しい気持ちになります。
昨日のように非常に賑わいを見せる呉服町通りですが、
反対に、最近お客様からは、こんな声を掛けられることが増えました。

「三保原屋さんは永くお店を続けてね。」

私たちにとって、非常に心強く、ありがたいお言葉です。
呉服町が賑わっている写真が無いかどうかを探していましたが、
何枚か保存されていたため、紹介をします。

この写真は、現社長が静岡まつりに参加していた頃の写真で、
恐らく、約60年(弱)前のものと思われます。
静岡まつりの賑わいも、過去から比べれば寂しいものになりましたが、
次世代につなげたい大切な活気だと思っています。

なお現社長は、
今月中旬よりヒマラヤのナンダコート登頂に向けて出発しております。

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2017年09月22日

創業330年を振り返る(過去最高の笑顔)

初孫 三保原屋

三保原屋のお店の話から少しそれますが、
先代社長の母(ひさ)は、
戦前から戦後にかけて三保原屋を支えた一人です。
今いるスタッフも、ひさを知っているメンバーがいます。

古い写真を振り返るにあたり、
どうしてもブログに載せたいと思う写真と出会ったので、
思い切って紹介をします。

この写真は、ひさに、初孫ができた時の写真だそうです。
約100年を写真で遡っているなかで、
最も輝いている写真でした。
写真が眠っていたアルバムには、
「わが老後に悔いなし」と、ひさ直筆の文字もありました。

いつの時代も、笑顔でいることの大切さを感じる
そんな写真です。

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2017年09月21日

創業330年を振り返る(社内新聞 筍)

三保原屋 社内新聞

三保原屋では、過去に社内新聞を出していました。
その名も「筍」。

古い写真を整理する過程で、
この「筍」も大量に出てきました。

見つかったものの中で、一番古い筍は昭和51年のもの。
前社長が、会社の歴史を振り返って書いた内容でした。

執筆者は役職を問わず、
多くの方が関わっていたようです。
たとえば、昭和55年9月に発刊されている筍には
「サチヨの料理教室」というコーナーが。

現在よりも物量が多く、
非常に忙しい業務の中でも、
従業員同士が知識や情報を共有しあっていたところを見ると、
三保原屋が多くのスタッフに支えられていたことが分かります。

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